自由研究2■北品川企画2001.6の記録


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企 画:都市と産業を訪ねてー品川区「まちに油の匂いは残っているか」

日 時:2001.6.16(土)13:00〜17:30
コース:北品川駅→旧東海道北品川宿お休み処→北品川密集住宅地帯→電球工場→日本ペイント東京事業所明治記念館(明治42年竣工の煉瓦造の工場)→広山商店街→武蔵小山駅
参加者:12名
    ◎伊藤清武、伊藤貴敏、大木教子、大澤(脇野)真澄、小俣元美、梶川愛子、
    ◎梶川義実、釜谷智弘、櫻川恵一、千川明、水谷晴子、溝辺正浩


[参加者の意見]


1.北品川宿 BBBBBA=3.33
 ・旧東海道筋の記憶をとどめるものがなくて残念だが、裏通りは一級品。
 ・お休み所はともかく、生鮮食料品店があるということは地域に必要とされる存在なのだろう。
 ・車が多くやや歩きにくいが、昔を偲ばせる品川宿の面影(料亭等)がよい。
 ・この地域を大切に思っている人々が沢山いることがわかった
 ・町を歩いていて、お休み処のような場所があると非常にありがたい。昔の品川宿周辺の様子がわかる写真がたくさんあるのも良い。

2.日本ペイント明治記念館 BBABBA=3.67
 ・日本の化学工業の発達史が判りやすく説明されている。もっとオープンにすべき。
 ・身近にあっても気がつかないペンキ発達史や周辺がわかる。レンガの建物もうまく使っている。
 ・公開している点は評価できるが、もっと濃い内容にするとよい。他の企業資料館ともネットワーク化し、「歩いてわかる品川工業史」のようなしくみが欲しい。
 ・こころよく見学させてくれたことに、感謝。
 ・時代を経たレンガの良さは深い味わい。紐で引く窓は興味深い。


3.広町工場アパート BBBBCB=2.67
 ・生活の匂いがない純工業地に下駄履き工場アパートはそもそも無理。
 ・あの立地で工場の上に住宅は難しい。全部工場にしたほうがよかった。
 ・工場を集めることのメリットが外から眺めるだけでは解らなかった。
 ・町工場の多い地域であることの象徴、合理的である。


4.百反坂 CCBCBB=2.00 
 ・かつて、品川用水が流れ、緑の軸になっていた筈。東京は傾斜地利用を見直すべき。
 ・フレーフレー飴屋のおじさん!
 ・坂道は地域の特徴を明示化するものなので、坂道からの景観を味わえるとよかった。五反田と百反は関係があるのかと思っていたら、百反は百段が転訛したそうです。
 ・坂の途中にある石黒飴屋の飴は、本当に美味しい。
 ・石黒飴は素朴で美味しい。昔はこの通りに大きなガラス瓶(=地球瓶といいます。主催者注)でお煎餅を売っているような店もあったのかなと思う。


5.西五反田の工場街 BCABBB=3.00
 ・これだけ工場と住宅が無理なく納まっている所も珍しい。
 ・土曜日で休みが多く普段の姿がわからなかったが、歩いてみないとこういうように工場が存在しているということがわからないものだと思いました。
 ・結構、工場が残っているのに驚いた。
 ・工場街の評価は難しくて、どうしても辛口の評価になってしまう。
 ・かつては品川区・大田区で町工場は6,000もあったと聞いた。後継者がなくてたたんだ工場もたくさんあるのだろう。私にとっては懐かしい町並み。


6.武蔵小山商店街 BBABAA=4.00
 ・買い回り品主体であの元気の素は何?かつては荏原の町工場が支えたのですが。
 ・日常的な買い物よりも、プチ盛り場のような印象を受けた。武蔵「新城」もそう負けていないなと思った。
 ・駅から長く続き賑わいもあり楽しい。やはり商店街はよい!
 ・あの賑わいは不思議である。いったい、どこから人が来るのか?
 ・活気があって驚いた。お菓子が安い。焼き鳥もおいしかった。
 ・アーケードになっているため、梅雨時のはっきりしない天気でも傘の心配がないせいか車椅子の老人を何人も見かけた。小さい頃、この商店街に来るのは楽しみだった。


□町工場が都市のなかにあることの意味
・それは都市の証です。身体性が失われていくなか、本物しか受け付けないっものづくりの現場は個人の力を体感できる数少ない職場となってきました。多くの人が気づくまで、町工場は教育の場として生きながらえ、復活の時を待つことになるでしょう。
・私は下町の生まれなので、幼い頃、何の工場かはわからないにしても近くには地井坂工場がありました。そういう場所を離れて住宅地で暮らしていると、大きな工場は知っていても、それを支えている小さな工場がたくさんあるということを忘れがちになっていました。町工場があり、住宅があり、商店街があるということが、自分なりに解りました。
・町工場は都市の中になるから「町工場」である。生産と生活が一体化している町工場は、生活を支える商業等のサービス業を必要としている。ものづくりの現場を身近に感じるためにも意義がある。
・町工場が都市の中にあることは、悪いことではないと思います。いろいろな職業の人がいることは、コニュニティには、必要なことだと思います。しかし、工場と住居が、隣接することになるので、防音・防塵・防臭等には、かなり気を使わないと、新居住者は、なかなか増加しないのではないでしょうか。
・品川区・大田区の第一京浜、第二京浜に沿ったあたりは町工場の多い地域という認識がある。そこに住む人にとって町工場は生活そのものであり、町じゅうが職住接近なのである。


□今回の企画全体に関するコメント
・工場街よりも最後の商店街が目的で行ってしまいました(T.Ito-)。
・日頃の生活のなかで自分にとって必要のない事は忘れているし、知らないことも多い。 久しぶりにTEKUTEKUで歩き、自分の目で見ると考え方が少し変化しているのに気がつかされます(A.Kaj-)。
・こんな都心に工場街があることに、驚きました。しかし、いくつかの土地では、趣味の 悪いミニ戸建が乱立しつつあり、時代の移り変わりを肌で感じました。最後の武蔵小山商店街では、あの活況はいったいどこからくるのか、本当に不思議に思いました (H.Miz-)。
・1964〜1974年まで品川区西中延に住んでいた。五反田に住む親戚は町工場の2階が自宅だったこと、小学校の同級生の家に遊びに行くと友人の母親が部品(今思えばあれは電球のヒューズだったのでは?)を作る内職をしていたこと、そして赤い火花を散らしながら金属を切る音とにおいはいつもそばにあった。その後国立の住宅街に引越し私の記憶の中で町工場は 遠くなっていたが、今日一日歩いた町は懐かしい幼少期のことを後から後からたくさん思い出すきっかけになった。子供の頃の時代、日本の高度成長期がつい昨日のことのようだ。
 品川の町工場が栄えていた最後の時、自分はそこで過ごしたのだな、と思った。今日は本当に嬉しく楽しい一日だった(M.Osa-)。
・油の臭いを感じていただけたでしょうか。案内人としては、工場のまち「品川」の一世紀を巡ってもらうつもりでしたが、企画倒れだったと反省しております。工場のまちの歩き方を改めて工夫しますので、次回、町工場企画にご期待下さい(K.Ito-)。
・今回のテーマは過去の企画から見ても異質なもので、難しかった。評価書を出された皆様、ご苦労さまでした。町工場があることの意味をもっと考える企画を検討中です。二次会会場を提供いただきました水谷家様。ありがとうございました(Y.Kaj-)。


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